坪内祐三追悼特集

「本の雑誌」2020年4月号と「ユリイカ」2020年5月臨時増刊号が坪内祐三の追悼号になっている。「本の雑誌」では四方田犬彦の短文がいい。



 (前略)坪内祐三が急逝いたと知らされ、わたしは残念に思った。緑雨は自分の肉を斬らせて相手の骨を斬るといった、真剣白刃取りの批評家として生涯を終えのたが、坪内は結局、彼のようにはならなかったからである。きっと緑雨よりも心優しかったのだろう。心優しかったから、女子の零落を見届けるなどという残酷なことができなかった。わたしは彼が同業者を何人か集めて、タクシー会社の宣伝のような雑誌を拵えたとき、これはダメだと思った。群れなどしていては、いい批評など書けるわけがないからだ。ちょっと可哀そうなことを書くようだが、新宿の狭い「文壇」とやらに入り浸って、英語の本を読む習慣を忘れてしまったのは、彼の凋落の始まりだったような気がしている。



 「タクシー会社の宣伝のような雑誌」とは「en-taxi」という坪内の他に柳美里、福田和也、リリー・フランキーが「責任編集」となっていた雑誌。



 「ユリイカ」のほうは、浅羽通明「SF嫌いの矜持と寂寥 坪内祐三の思想について」がいい。「シブい歴史――ディテールの坪内VSセンスオブワンダーの小熊」という章では、小熊英二と比較して論じている。



 (小熊への)坪内の嫌悪と危惧は、その翌年に書かれた「(一九六〇年代に関する若い政治学者や社会学者のあまりにもデタラメというか歴史的感受性を欠いた記述が目に付くだけに)」、彼が歴史的摘転換点だったと考える一九七二年が、半世紀後、どう歴史化されるのか、「それを考えると私は恐ろしい」という『人声天語2』収録の「尖閣諸島問題も一九七二年に始まる」の一節でも繰り返される。/逆に六年ほど遡れば、「記録と記憶と準記憶 歴史を知る」(『人声天語』)にこんな一文がみつかる。/生き残った当事者の記憶と記録、それらに触れてイメージを再構成する努力をした続く世代の準記憶。そうやって継がれてゆくはずの歴史から切断されたところで、「歴史」を語り、「さらに言えば自分たちの不満のハケ口をある「歴史」に根拠づけようとする、そういう若者の恐ろしさ」を坪内はそこで警告していた。/かれらはおうおうにして「ネオ・ナショ」に走りがちだからと。「ネオ・ナショ」すなわち現在の「ネトウヨ」である。/この「時代のディテール」というのは、都築道夫が書いて遺した中野の消えゆく二軒長屋とか、広瀬正が交渉を徹底した銀座の店並びとかでもあり、川本三郎が映画と共に忘れず触れるパンフレットや映画館でもあるだろう。/「歴史的感受性」というのは、坪内が丸山真男にはあるとした「ゴシップ的感受性」、すなわち「他者への関心の強さ」と重なる。この他者は、必ずしも人物とは限らない。建築や店や町の一角だってちょっと我を押さえて謙虚に街を歩けば、きっと語りかけてくる知らない加古という他者からの目くばせだ。(中略)こうしたディテールを漂わせる空気、匂いといったものをすべて捨象し、大事件や言説だけをつぎはぎして歴史を記述したと考える者たちを、坪内は許せなかったのだ。

20200509

2021年01月09日