『アンパンマン』と選書(西田博志『いなかの図書館から』)残日録220821

 先日、逝去された西田さんの八日市市立図書館長時代の文を紹介しておく。西田さんは職員の意見を尊重する人でもあり、職員に問題提起する人でもあった。

 私たちの図書館には『アンパンマン』がない。『ノンタン』があって、なぜ『アンパンマン』がないのかという他館職員の問いかけに、明確にこたえる術を持たぬまま、マンガとともに、未だに選書の対象からはずされた状態にある。しかし、そうなっているのは、絵本は子どもの想像力をかきたてるもの、芸術性の高いものをという点で、職員間の一致を見ていないからで、何も特別に排除しているというわけではない。
 選書に関して、私自身はどうかというと、職員からは、どうも」「フラフラしていて頼りない」と思われているらしい。どんな本でも、それなりの価値を持って誕生している。したがって収書をするかどうかは、そのときどきの状況によって判断すればいいというのが私の考えだから、どうしても優柔不断のそしりは免れないのであろう。しかし、もう少し補足すれば、その本の価値を決めるのは利用者(読者)であって、私たち図書館員ではないということである。それじゃあ何でも収書するのかというと、けっしてそうではない。人間誰しも、現在の自分よりもっと、ゆたかになりたいと願っている。そういうひとびとをはげまし、知的冒険心を呼び起こされる、そういう本で図書館をいっぱいにしたいというのが、私のかんがえ方なのである。
 ところで、なぜ『アンパンマン』の話を持ち出したかというと、最近、この本についてかんがえさせられる、とてもいい文章に出くわしたからである。市内のある高校に勤める学校司書、土田由紀さんの「アンパンマンのこと」という短文で、図書館あるいか図書館員の役割をかんがえる上でもたいへん参考になると思う。全文掲載する余裕がないので、要点だけを紹介しておく。
 ――自分自身『アンパンマン』にいい評価を持っていなかったが、要望が強かったので「ミニ・ブックス」を10冊購入した。ところが生徒のなかに『アンパンマン』ばかりくり返し読んでいる子がいて、他の絵本をすすめても見向きもしない。その彼がある日ぽつりといったのである。「これ、幼稚園と小学校においてあった。そのとき、ずっと読んでた。あのころはよかった」後で担任の先生に、その子の家庭がとても複雑であるということをきいた。それで私は「そうなのか」と思った。彼は『アンパンマン』だけを見ていたのではなく、それを読んでいたころの「幸せだった家庭」あるいは「何も知らなかった幸せ」をともに見ていたのか、と。以来私は、「本の差別」は、やめた。どんな本であれ、人は「何か」を求めてその本を読むのだ。だからその「何か」を理解し、より適切な本があれば、それを紹介してあげよう。ともすれば「そんなんより、こっちの方がいいよ」といいたくなるけれど、本ではなく、もっと人を中心にした対応をしていきたいと思う――
 高校生に「アンパンマン」や絵本というのは、ちょっとかんがえにくいかも知れないが、文字さえろくに読めず、読書の世界から隔絶された生徒がおおいこの学校で、彼女は一生けんめい「読みきかせ」をしているのである。そのことにも私は深い感動を覚えるが、それ以上に大切なことが、この文章にふくまれているとおもう。つまり、本の価値をきめるのは図書館員ではなく、利用者自身であること、したがって資料の提供に当たってはけっして「押しつけ」があってはならないことの二つである。私たちの図書館が『アンパンマン』をおかず、マンガやポルノを棚上げしていることと、これら土田さんの指摘とは、果たして矛楯するものかどうか。近いうちに、私は選書会議にこの土田さんの文章を提出するつもりでいる。(以下略 p17~20)

 土田さんの、「彼は『アンパンマン』だけを見ていたのではなく、それを読んでいたころの「幸せだった家庭」あるいは「何も知らなかった幸せ」をともに見ていたのか」という発見は、「良い本」に傾きがちな図書館員を「人」の側に引き寄せてくれる。

 今年の1月にお亡くなりになった松岡享子さんの言葉を思い出す。たとえ絵本としての世間での評価が低い絵本であっても、駅の近くの雑貨屋で並んでいるそうした絵本を、出稼ぎから帰るお父さんが子どものために買ってきた絵本は、その子にとって大切な一冊なのですよ、といったようなことおっしゃられた。「図書館員は本の世界を知っている」と奢ることを戒められたのだと思う。
まとまって書くこともないだろうから、蛇足ながら、松岡さん関連のことを書いておく。
東京子ども図書館の関係者の佐々梨代子さんとは児童図書館研究会で会計担当として数年ご一緒させていただいたし、荒井督子さんとは成田市立図書館時代の館長と職員の間柄だった。3人がけの背もたれつきの椅子に若い女性が座り、若い男性が頭を腰の方を向けて膝枕をしている。それを荒井さんは見つけて、明定さんちょっと注意してきなさいよ、と言う。わたしが二人に言葉をかけると二人は並んで座った。荒井さんは「なんて言ったの」と声を弾ませて聞いた、そんな記憶がある。荒井さんは、私が利用者にどう対応しているのかのあれこれを、石井桃子さんの別荘での松岡さんや中川李枝子さんとの夏の集いで、面白おかしく話のネタにしていたらしい。当時、女性週間誌が郷ひろみと松田聖子で盛り上がっていた。荒井さんはこんな週刊誌が2誌もあるのはどうだろう、と疑問視していて、聖子ちゃん派の職員に論破されていたが、「岸田衿子の恋話」(お相手が私たちの知る人物であった)で軽井沢では盛り上がったそうで、何処も同じと思ったことだ。
松岡さんとはお会いする機会は少なかったけれど、そんなこともあって、親しく接してしていただいた。最後にお愛したのは7年近く前のことで、石井さんの「かつら文庫」で「同文庫」の映像を見ていたときだった。『せいめいのれきし』の改訂版の訳文のチェックをしておられた松岡さんが一段落をされたのか、私の前にこられた。私に何を話されるのだろう、前年度にでた岩波新書は読んでないしなあ、と内心思っていたら、佐々さんと荒井さんの近況だった。 それがまた、おかしいのだった。

2022年08月21日