西田博志氏逝去(1934-2022) 残日録220817

 元八日市市立図書館(元東近江市立八日市図書館)の館長(1984~1997)だった西田博志さんが、長い闘病生活の日々を経て、先日お亡くなりになった。
 現役を離れて、また図書館界とも縁を断たれて、ずいふん長い闘病生活だったので、ご親戚と親しい方たちの小ぢんまりとしたお葬式だった。図書館関係ではご近所に住むSさんと長野からのK夫妻、そして私が参列した。出棺のときにMくんが顔を見せた。私は年に数回、草津の「橘とうふしんざぶろう」の豆腐を手土産にご機嫌伺いをしていた。この春、今年で図書館関係の団体を退会すること、道楽の民藝の世界に入門することを報告して、大いに盛り上がったのが最後になった。
 学生だった頃、講師が吹田に西田くんという館長が活躍しているので会ってみなさい、と言った。ぶらりと吹田の図書館をのぞいた。西田さんは会議で府立夕陽丘図書館に出ている、とカウンターで答えてくださったのが、後にKさんと結婚するIさんだったと記憶している。その昔、20歳台の加古川の図書館で働いていた頃、「みんなの図書館」の編集に関わったことがあった。その時の編集長が西田さんだった。
 私が滋賀県の高月町立図書館準備室(当時→現長浜市立高月図書館)の準備室長として、成田から滋賀に転じることに大きく関わられたのが西田さんだった。当時の県立図書館の前川恒雄館長はあまり乗り気ではなかっただろうし、某町立図書館長はその著書で「滋賀県の図書館づくりに相応しくないのではないか」と前川氏に進言したと書いている。
 私を候補に挙げた人たちのことは、西田さんも含めて想像がついたので、正面から断ることはできないことはわかっていた。前川氏の面接を経て、準備室長への道が開かれたのだった。当時、38歳だった私は、高月図書館を経験して、もう一つ図書館をつくれたら、とぐらいに思っていた。それが定年まで続くとは予想していなかった。そんな話もあったようだが、私のところまでは届かなかった。
 赴任してすぐに八日市図書館に行った。八日市の駅前の商店街でミカン一箱を買って、肩にかついで行った。準備室時代が2年4ヶ月と長かったこともあり、八日市に西田さんを訪ねることがよくあった。図書館のあれこれについて雑談を何時間もした。幸福な時間だった。八日市の職員から、西田館長とフランクに話すのは明定さんぐらいだ、他の館長たちはそんなことはない、と言われて、そんなものなのか、と驚いたことがあった。
 西田さんからたくさんのものを学んできた。私の「幸福な図書館生活」の1%は、故板倉聖宣さんと西田博志さんによって支えられている。(99%は住民の皆さんであることは言うまでもないことだが。)
 西田さんには『図書館員として何ができるのか 私の求めた図書館づくり』『ようかいち通信 人・自然・図書館』の2著作がある。私が作成したブックレット、西田博志著「いなかの図書館から」は「子どもと読書」の連載が元になっている。

2022年08月17日