與那覇潤『歴史がおわるまえに』亜紀書房,2019

「率直にいって私たちの社会――日本に限らず世界の全域でいま、人びとが過去の歩みに学ばなくなり、歴史の存在感が薄らいでいることは事実だ。そうした事態を食い止めようとする学者時代のわたしの活動は、端的にいって徒労だったと思う」(P340)。

 こう書く與那覇の学者時代の活動は単著『中国化する日本』『日本人はなぜ存在するか』や東島誠との共著『日本の起源』でその啓蒙的な絵解きを読むことができる。

 本書の第一部「日本史を語りなおす」第三章「現代の原点をさがして」の対談はそうした「徒労」時代の最後の産物であったのだろう。前記の三著書よりもいっそう深い内容になっている。その分、啓蒙度は低くなる。

 その間に挟まれた第二章「眼前の潮流を読む 時評」は、もう少し「林達夫」風に仕上げればよかったものを、と思わせる。背景に少し「徒労」を感じさせるとすれば、與那覇と林の生きる時代の違いや「大衆」観の違いであるだろう。

 これらの時間のあと、與那覇は双極性障害Ⅱ型(うつ病)をきっかけとして学者時代を終える(退職)こととなる(2017)。

 「むしろこれからは(依存の意味での)歴史が壊死していくことを前提として、それでもなお維持できる共存のあり方を考えねばならないのだろう。まだ答えは出せていないが、そのヒントを模索する病後の作品を集めた(P340)」のが、第四章「歴史がおわったあとに―—現在」である。

「それでもなお維持できる共存のあり方を考えねばならない」と書いてしまうところが、「徒労」の深さと相まっている。

「かつて社会主義体制の崩壊を「歴史の終わり」と呼ぶ人がいました。しかしそうした見方じたいが、必然として語られた歴史そのものだった。むしろ多くの歴史の語りとともにあった、必然という発想そのものを終えた後にはじめて、私たちはほんとうに問うべきことを考えられるのだと思います」(P12)とはいうものの、「ねばならない」から遠く離れたところに立脚点を置くことは難しい。その困難に向かう與那覇をこれからも追っていきたい。

20200822

2021年01月09日