正岡容の岡鬼太郎「らくだ」評

正岡容『寄席囃子』から、



 岡鬼太郎氏が吉右衛門一座に与えた「らくだ」の劇化「眠駱駝(ねむるがらくだ)物語」は、おしまいに近所で殺人のあるのが薬が強すぎて後味が悪い。岡さんのいやな辛辣な一面が、不用意に表れているように思われる。陰惨な情景は、あくまでむらく(むらくに「ヽ」)のそれのごとく、終始、らくだの兄弟分と屑屋の言動との滑稽の中で発展さすべきである。それでなくても思えば「子猿七之助」以上に陰惨どん底のこの噺の世界は、わずかに彼ら二人の酔態に伴う位置の転倒という滑稽においてのみ尊く救われているのであるから。ということはしっくりそのままお生にこの噺を頂戴して、不熟な左傾思想をでッち込み、その頃、雑誌『解放』へ何とかいう戯曲に仕立て上げた島田清次郎あることによっても立証できるだろうと思う。



 「むらく」は「群雲」だろう。2017年12月の歌舞伎座、中車と愛之助の「らくだ」について、渡辺保氏の劇評に、



 私はこれまで岡鬼太郎作の「らくだ」しか知らなかった。今度ははじめて大阪版(略)なるものを見て大いに笑った。もともと「らくだ」は大坂落語だから本家本元というべきか。東京版とは感覚がまるで違う。岡鬼太郎が人間の死の尊厳にふれているのに対して、大坂版は一切理屈抜きで、野放図に笑いに徹しているところが面白い。



とある。前年の正月の松竹座での二人の「らくだ」には好評のブログがあるが、こちらの方は「キレが悪い」との声もあり、東西の観客の違いにとまどったのだろうか。

 一時期(3~40歳代)、歌舞伎を見ていたことがあったが、そういう時間が持てないでいる。このままだと、落語の「らくだ」も歌舞伎の「らくだ」も縁なくして終わりそうだ。そういう面への慾がなくなったともいえる。



 Zoomでふたコマ講義をすることになり、慌てた2週間だ。準備の方が少し落ち着いたので、気分転換に「正岡容」を読んだ。

20200722

2021年01月09日