『「大衆」と「市民」の戦後思想—―藤田省三と松下圭一』(趙星銀著.岩波書店.2017)の「プロローグ「大衆民主主義」再考」から

 「大衆」と「市民」

 藤田の最初の著述は『政治学事典』(平凡社、一九五四年)の「天皇制」項目である。その中で藤田は、大衆社会への迎合に成功した戦後の天皇制とその裏面に持続している戦前型の官僚制の温存に、戦後の支配構造の核心を見出している。一方、松下の論壇デビュー作は岩波書店の『思想』一九五六年一一月号の論文「大衆国家の成立とその問題性」である。松下はその中で、国家に〝対する〟革命ではなく、国家に〝よる〟福祉の拡充を求める労働者たちを「大衆」と名付け、彼らの出現が古典的な社会主義理論への転換を要求していると主張した。

 デビュー当初、二〇代後半の気鋭の新人であった二人は、こうして一九五〇年代半ばの日本社会における「大衆」の問題を指摘しながら登場した。

 (略)

 今日において、政治的語彙としての「市民」は、公共生活に自発的に参加する人間、民主主義の政治体制に相応しい人間を指す場合が多い。この語は著しい規範性を帯びているが、それは敗戦後、連合軍から与えられたものとして出発した「戦後民主主義」の特殊性と関連している。与えられた民主主義を真に我々のものに変えるために、主権を握る人々がそれに相応しい規範を身につけることが強く要求されたからである。そした問題意識の上で規範概念としての「市民」が構想され、語られてきた。

 そして「市民」という語がもっとも理想的な民主政治の姿を指すとすれは、「大衆」は、おそらくそのもっとも危険な担い手を指す言葉であろう。「大衆」をめぐる言説を支えるのは、民主主義そのものに対する根強い会議である。古代ギリシャにおける衆愚政治への危惧からトクヴィルの「多数の専制」への警戒まで、〝デモスの支配〟の否定面への憂慮は長い歴史を持っている。つまり、民主主義の歴史は民主主義に対する不信と警戒の歴史と表裏をなしているのである。現代語における「大衆」は、いわば民主主義の影のような存在であるといえるかもしれない。

 以上は、今日における「市民」と「大衆」のイメージを簡略にスケッチしたものである。ところがこれらの概念を近代以降の日本思想史の文脈の中で論じるためには、もう一つの決定的な思想潮流を考慮する必要がある。それは社会主義の言語としての「大衆」と「市民」の文脈である。そこにおいて、「大衆」はプロレタリアートと、「市民」はブルジョアジーと重なり合っており、またそれに「マス」や「群衆」、「小市民」や「中間層」などの語が混入しながら言語空間を作り上げたのである。

 こうした経年の混在の中で、「第一の戦後」と「第二の戦後」は、それぞれ「大衆」と「市民」が社会変革の主人公として語られ、その可能性と問題性に注目が集まった時代でもある。その境目にあった六〇年安保において、社会主義の説く「大衆」と大衆社会論の説く「大衆」の緊張関係を意識しながら、新しく「市民」が語られ始めた経緯については、後で検討する。(同書P ~ )

「『市民の図書館』再読」(みんなの図書館、2000年12月号)で私は、「〈市民〉をあいまいに用いることは避けたいという立場です」と書きました。

 「自由で民主的な社会は、国民の自由な思考と判断によって築かれる。国民の自由な思考と判断は、自由で公平で積極的な資料提供によって保障され、誰でもめいめいの判断資料を公共図書館によって得ることができる」(『市民の図書館』十一ページ)という理念と、現実の「市民」として暮らしている人との乖離は気になるところでした。

と書いている。『市民の図書館』は、理念と政策と技術が書かれているのですからそれはそれでよいとしても、その後の論議が「市民」と「大衆」の問題を無視し、「市民」という言葉をどこかに違和感を持つことなく使っていることが、気になっていた。

 この政策マニュアル(貸出し、児童サービス、全域サービス―明定)教養主義からすると「パンドラの箱」を開けたのです。そこから出てきたのは「大衆」「群衆」であって〈市民〉ではなかったのです。

とも書いている。この論は「図書館界」の「貸出を考える」でも触れている。

 図書館情報学の研究者はこういうことに関心がないのかもしれない。

 上記の本が出たので、気になるところ「第三章市民と政治」「終章「国家に抗する社会」の夢」などを読んでみた。

 高度成長を続けた公共図書館は、バブル期以降の「私生活主義」に迎合するだけに終始してしまった、という私の考えは、田中義久の『私生活主義批判』(筑摩書房、1973)あたりの影響を受けている。藤田の「私生活(第一)主義」とは違う文脈であることを知った。

 また、この「第三章」を若い人たちが読むことで、『市民の図書館』刊行当時の「市民」ということばの持つニュアンスを知ることができるだろう。

 「市民との協働」といった時に使う「市民=住民」が定着している現在に至るまでの「市民論」には、松下の「しみん」が大きな影響を与えている。図書館界も間接的ながら影響を受けている。松下の「社会教育の終焉論」からも、とつけ加えておきたい。


 松下は新憲法と高度成長によって涵養された権利意識と自発性のエネルギーを、自治体の政策決定過程における市民参加に転化する道を模索した。市民が参加することによって、その意思決定は公共性を主張する正統性を確保することができ、また参加者個々人は発言と聴取を通じて、実際の意思決定過程における様々な衝突を経験し、合意に到達するための技術を身に着けるようになる。こうした政治教育が、政治への無関心の悪環境を断ち切る契機となり、政治観そのものの変革につながることを松下は期待した。

 しかし一九九〇年以降、そうした市民参加の構想は新たな問題に直面する。一つは、「市民」の条件である時間的・経済的な「余裕」をめぐる問題である。経済規模が順調に成長し、またその持続が約束されていた時代においては大多数の人々が「中流」意識を持つことができた。彼ら「大衆」が「市民」として自発的に政治に参加する時、そこで構築される公共性の主張は正統性を持ちえた。

 しかしその後、経済成長は次第に鈍化し、続いて投機による資産価格の上昇と遊楽を中心にバブル経済の崩壊と呼ばれる事態が到来する。資産市場と雇用市場は安定性を失い、かつての暑い中間階層の分化が進む。日本経営の三種の神器とよばれた年功序列、終身雇用、企業内組合の基盤は次第に危うくなり、やがて新しい貧困の問題が浮上する。中間層の階層分化によって社会全体における格差の増大すると「太守」と「市民」は再び分離する。

 もう一つの問題は、「市民」の自発性を制度化していく中で発生する逆説である。サイモン・アヴネルは二〇一〇年の著書Making Japanese Citizenの中で、六〇年安保以降に展開された市民運動の性格を「べ平連」運動に代表される「良心的潮流」、反公害運動や反開発運動の「プラグマチックな潮流」、そして松下や「都政調査会」のメンバーが主導した「市民参加運動」の三つに区分している。これらの運動はいずれも六〇年安保の成果と限界を意識した形で展開されたものであり、その中で進められた運動の持続化と専門化、実行化のための努力は、後の世代の市民運動に継承されることになる。

 しかし同時に、そのような遺産を吸収した次世代の市民運動の多くは、市民団体と政府との協調関係を前提にするものであった。その過程において、かつての市民運動の持っていた対抗的・対立的な方式は拒否された。根本的には資本主義を肯定し、官僚制との協業を前提にした形で運動が進められるようになったのである。こうした傾向は、特に一九九八年の「特定非営利活動促進法(NPO法)」の制定以後、国家が「市民社会」の成長を奨励し、それを積極的に育成することになった後、より顕著になる。NPOを中心とする「市民社会」が、政府の補完機構、とりわけ新自由主義的な路線に李っきゃ開く下小さい政府の補完機構として機能する側面が露呈したのである。(同書P328~9)

 

 「市民」が小さい政府の補完機構として機能するなかで、図書館という場においても同じことが進んでいる。「市民」を生み出そうとした図書館は、「しみん」をそのシステムに組み込むことになったが、個人貸出を軸にしたサービスが生み出した「大衆」「群衆」について、図書館はどういう関係を持つことができるのか、が問われている。

 

 著者はこの本を次のように結んでいる。

 

 おそらく高度成長以降の日本社会は、市民社会の側面と大衆社会の側面、松下的なものと藤田的なものを、ともに備えている。そして今日の社会も、、そのような緊張関係から自由ではない。戦後の議論空間に立ち返り、可能性の源泉としての戦後思想を再検討する作業が必要な理由もそこにあるのではないか。(同書P333)

 

 私は前出の「『市民の図書館』再読」で、

 

 『市民の図書館』の貸出の方を軸に展開しているのは、伊藤昭治氏を中心にした日本図書館研究会の読書調査グループです。

 伊藤氏等の考えは「大衆から市民へ」という構図をその背景に持ちながらも、大衆の求める価値を起点とした側からの自己形成による〈個の確立〉を求めています。それを妨げるのは、啓蒙する側として高みに立つ図書館員である、という考え方です。

 「個人貸出を基本」とするサービスが各地で生まれ広がる中で、この考え方がどういう役割を果たしているのか、といったことも論議されるべきでしょう。

 その論議は、「絶対的価値基準」を否定した「相対主義」とその幸福について、といった内容になるだろうと思います。

 〈市民の図書館〉という理念を実現するには、どういう過程が必要なのか。実践や論争の展開が求められていると思います。

 

とも書いている。

 そのことが、藤田省三の「大衆」論、「私生活(第一)主義」や、松下圭一のやり残した課題とつながるのだろうか。直接的ではないものの、つながったところで考えていきたい。

20190525

2021年01月09日